「野獣生誕」

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結成1年目に出した、Aerosmithの1stアルバム「野獣生誕」 (原題:Aerosmith)。

二度目のデビューとなるスティーヴン以外はみんな新人だったので、マネージャーは何もかも忘れてレコーディングに没頭できるよう彼らを短期間合宿させたと言われています^^

発売時は酷評され、ローリングストーン誌には相手にもされず、レコード会社にも契約を打ち切られそうな中、マネージャーやメンバーたちの必死の嘆願でシングルカットされた「ドリーム・オン」は最高60位まで上昇!

その3年後に再発売されビルボード誌で6位のヒットとなり、アルバム自体も21位まで達しました。

ねばり腰です。

≪曲目リスト≫

1. Make It (3:39)

2. Somebody (3:45)

3. Dream On (4:26)

4.One Way Street (7:01)

5.Mama Kin (4:25)

6.Write Me (4:10)

7.Movin' Out (5:02)

8.Walkin' The Dog (3:12)

ロックの殿堂入りしてます

エアロスミスの歴史は長いです。

その長い経歴の中で、2001年にはロックの殿堂入りを果たしています。

この年の他の受賞者は、まずマイケル・ジャクソン。エアロスミスもそうですが、まだ受賞してなかったのが不思議なくらいですよね。
他にもソロモン・バーク、ザ・フラミンゴス、クイーン、ポール・サイモン、スティーリー・ダン、リッチー・ヴァレンス。

ものすごい面子ですよね!

また、エアロスミスは1998年には洋楽アーティストで初となる、4大ドーム制覇も遂げています。
現在の時点でのアルバムのトータルセールスは、全世界で1億5000万枚以上!

本当にすごいバンドなんです。

アルマゲドンの主題歌

ブルース・フェアバーン3部作で商業的に大成功したエアロスミス。

彼らは、古巣コロムビア・レコードに復帰し、復帰第1作となる『ナイン・ライブス(Nine Lives)』(97年)では全米1位を獲得!そして映画『アルマゲドン』のメインテーマとなった『ミス・ア・シング(I Don't Want To Miss A Thing)』は、全米シングルチャートで1位を獲得しました。

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2001年3月には、通算13枚目で全米2位のアルバム『ジャスト・プッシュ・プレイ (Just Push Play)』をリリース、2004年にはブルース・カバーアルバム『ホンキン・オン・ボーボゥ (Honkin' On Bobo)』をリリースしました。

これに合わせたツアーを境にバンドは無期限休業宣言をするものの、2005年にはライブ・アルバム『ロッキン・ザ・ジョイント (Rockin' The Joint)』を発表。

そして今年も新作に取り掛かっているそうです!

再結成、そして


いつ解散しても不思議ではないと言われていましたが、1984年、オリジナルメンバーで再結成します!

新たにゲフィン・レコードと契約した彼らは、MCデュオ、RUN D.M.Cによる

『Walk This Way』のカバーの全米4位という大ヒットも手伝って、徐々に復活します。

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この時期に出した3枚のアルバムは、ブルース・フェアバーンがプロデュースしました。

『Permanent Vacation』(1987年)、『PUMP』(1989年)といずれもヒットします。

そして続く『Get A Grip』(1993年)は、完成しかけたマスター・テープを全て廃棄して再び

作り直すほど徹底的に質にこだわって、初の全米チャート1位を記録!!

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全米で700万枚、全世界ではなんと1200万枚を売り上げる大ヒットになりました。

どん底

快進撃が続くも・・・・ここで大問題発生!

中心メンバーだったジョー・ペリーが中途半端に参加したアルバム『ナイト・イン・ザ・ラッツ』は、多くのファンを失望させる出来であった事・・・・。
人気も急降下、ここからどん底の始まり~。

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それから、2人のギタリストが完全に脱退して、後任のギタリストを迎えて作った『美獣乱舞 (Rock In A Hard Place)』は、今では質の高い作品とされているんだけれど、ファンとかからは評判があまり良くなくて、商業的にも失敗になっちゃったんだよね・・・。
うーん・・・その時代には合わなかった曲かも・・。

しかも、スティーブンが事故した事もあって休養することに。
追い討ちだね・・・バンドの人気は、どん底に落ちるよ~~。

快進撃

ミュージシャンとして少しずつ自分達のスタイルを作っていったエアロスミスはやっと・・・3rdアルバム『闇夜のヘヴィ・ロック (Toys In The Attic)』(1975年)と4th『ロックス (Rocks)』(1976年)で人気爆発!!

スタジアム級のバンドとなっちゃうよー!エアロスミスとしての形態を完璧に確立しているの。
これが彼らにとって、初めての黄金期になったんだよ~。

その後のアルバム『ドロー・ザ・ライン (Draw The Line)』(1977年)、そして『ライヴ・ブートレッグ』(1978年)と快進撃はぞくぞくと続くよ!

徐々にね

デビューから30年以上経った今もなお、アメリカン・ハードロックの絶頂にいるエアロスミスだけど、デビューして突然大ヒットしたというタイプのバンドではないんだな~。

かえって、デビューした頃の評判はあまり良くなかったの・・。
マスコミからはローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンのチープなコピーだ~とか攻撃されていたんだ。
だから、初めの頃の2枚のアルバムは演奏も録音もアマチュアっぽくて、とてもじゃないけどトップクラスのバンドとは比較が出来ないものだったんだよ。

1stアルバム『野獣生誕 (Aerosmith)』(1973年)は販売した頃、ビルボードチャートにチャートインしたけれど、それも数ヶ月掛けてやっとの最高166位だったんだよね。
2ndアルバム『飛べ!エアロスミス』 1974年を公開。根気強くライブをこなして、少しずつ人気を有していくのだ~~。

音楽観

自分達の音楽観でブリティッシュ・ロックをフィルタリングしてハードロックという形式で、アメリカのロック界の発展に大きく関与したバンドの1つ!数あるバンドの中でも特に!

1970年代は「ドラッグ、アルコール、セックス」といったイメージが非常に強かったエアロスミスが、1980年代前半の低迷期、その後の第2次黄金期を経て、ゴージャスなロックンロール・バンドへと変わっていった話は有名だよね~。

でもね、そんな山あり谷ありのミュージシャン人生の中で今なお、自分達のスタイルを確立し続けているんだよ。なかなか出来ないよね。

誕生

1970年代夏、アメリカ、ニューハンプシャー州サナピー湖のザ・バーンというクラブで演奏していた、ジョー・ペリー (g) とトム・ハミルトン (b) のバンド、ザ・ジャムバンドを見たスティーヴン・タイラー (vo) は彼らと新たにバンド組む事を決意した。スティーブンによると彼らの演奏は最低だったが、エネルギッシュなプレイが最高だったという。

当時、既にバンド『Chain Reaction(チェーン・リアクション)』でプロとしてデビューしていたスティーブンは、同年、このまだ見ぬ架空のバンドのドラムに友人のジョーイ・クレイマーを、そしてもう1人のギタリストに同じく友人だったレイモンド・タバーノを迎えたが、翌年にはレイモンドが脱退し、代わりにバークリー音楽大学を卒業し、複数のバンドでの経験を持っていたブラッド・ウィットフォードを迎える事になる。そしてこの5人が、エアロスミスのオリジナルメンバーである。こうして、兄弟となった5人はボストンの小さなアパートの個室で共同生活をする事になった。エアロスミスというバンド名は、ジョーイが学生時代ノートの隅に書いてあったバンド名の1つであり、空気を意味するAeroと職人を意味するSmithを合わせた造語である。

ジョー・ペリー

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ジョー・ペリー(Joe Perry、1950年9月10日 - )は、アメリカのミュージシャン。
ロックバンド「エアロスミス」のリードギタリスト。
本名はアンソニー・ジョゼフ・ペリー(Anthoney Joseph Perry)。
ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第48位。

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